災害ボランティアの正体とは?(橋本賢太)

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第 1 章「阪神・淡路大震災はボランティア元年」

1995 年に起こった阪神・淡路大震災では、多くのボランティアが神戸の復興に貢献した。その ように阪神・淡路大震災では、今までのボランティア活動の形態とは異なった。市民ボランティア が赤の他人を支援する傾向が目立ったためボランティア元年と呼んでいる。今回そのような阪神・ 淡路大震災と関連があるボランティア活動をテーマとしたい。ボランティアには客観的に感じてい たボランティア活動の良さと実際に活動を通して考える偽善性にギャップが感じられる。私は、そ の面にスポットを当てて災害ボランティアの本質について考えたい。

第 2 章「ボランティアはかっこいいもの?」

私は高校生の時に防災を深く学び、大学でも防災を学ぶことを目的して兵庫県立大学に入学し た現在 2 回生の大学生です。現在も防災を自分自身にとっては主専攻と考えて、大学で防災の 授業を受講したり、サークル活動で災害ボランティア・防災教育を中心とした活動をしたりしていま す。だからこそ私は、ボランティア活動と防災・震災を関連付けたい。なぜなら防災・震災と出会っ たきっかけがボランティア活動であったから。中学生 2 年生の私は最寄り駅の JR 垂水駅付近を 歩いている。そこで、お昼間に募金箱を持った高校生が大声を出し、東日本大震災の募金活動を 行っているのを見た。私は出身地でもない地域に対して高校生が貴重な時間を費やして募金活 動を行っている姿にかっこよさを感じる。しかし、それは今から 6 年前、東日本大震災から3・4 年 後の話なのだ…。災害ボランティアには、震災という 1 つの事象をきっかけにして被災地外の人 間が貴重な時間を使って助け合いを行っていくという人間の行動にたくましさを感じられる。その ため、私自身も色々なボランティアの形があるが、関わりやすい形でボランティアを行っていこう。

第 3 章「偽善性を感じたきっかけとは」

大学に入学後、ボランティアに対する偽善性を感じ始めた。被災地での活動で特に偽善性を感 じている。私が所属しているサークルでは震災後8年たった今原発事故の影響を受けた福島県の 浜通りを中心とした活動を継続している。そこで行っている活動は、農業体験やお祭りの開催など 震災から 8 年たって復興のための被災者との交流に変化している。しかし、私自身は震災当初か らその地域に携わっているわけではない。たまたま大学やサークルの活動の一環で参加させてい ただいているだけ。確かに、被災地の復興には継続性は大事かもしれない。しかし、震災当初か ら活動していない私が被災地に入り、被災者の方と交流するのは本当にいいのか。被災者の方 にとって震災を忘れていただく機会となっているのか。その活動は私たちが善意と思っているもの だけど、被災者にとっては一行事に過ぎず、偽善なのかという事を感じている。

第 4 章「災害ボランティアの参加への障害とは?」

なぜそのように感じるのか自分自身も具体的な答えが見つかっていない。1 つの仮説を立てる と客観的な視点では私自身がかっこいいという良さの評価を与えているからではないか。しかし、 自分自身の活動は評価されていると感じることができない。他者からの評価をもとに活動すること は、良くない部分もあるかもしれないがそのようなことでギャップがうまれ結果的に自分自身での ボランティアへの参加を妨げているのではないか。そのような部分においても、ボランティア活動 をどう推進していくのかをこれから考えていきたい。